ぐるぐる
4/22 金
このところ美意識があがっていて、水をたくさん飲んだりサプリを数種類とったりしている。ビタミンCをこまめにとるようにしたら、数日で体のだるさや、日中の眠気や、頭にかかるもやまでさっぱり消えた。どれだけビタミンが足りていなかったのか、と恐ろしくなった。なまじ健康体で、毎日ラーメン・マック・コンビニ飯で暮らそうが大きく体調を崩すことがないので、まったく頭を使わぬ食生活をおくってきた。美意識の向上とともに食生活をなんとかしなくちゃいけない。
四六時中、好きな人のことを考えている。いや本当は好きな人のことを好きな自分のことを考えている。 ラインは続ければ続けるほど空疎な会話がつらくなり、スタンプを送って終わらせてしまった。 もう、言ってしまおうと心に決める。私は自分が本当に思っていることを他人に言えたためしがない。それはきっと、他人のことを、他人との関係を、なめてきたからだ。好きな人と会って生まれてはじめて、他人と真正面から向き合うことを知った気がする。 私の好きな人は、いつだって細部を見逃さず、全体を抱え込もうとする。苦しそうにもみえる。この人の前で私は、すべて剥き出しにしたい欲求に駆られる。私のことを知って欲しい。 言ってしまおう。終わりになってしまったら、あの特別な時間を思い出にして、そしてまた生活を続けよう。私はいま、投げやりで暴力的で前向きで優しい気持ちでいっぱいで、生きているなあと思う。
夜道
4/16 土
朝、起きられない。やたら予定を詰めてしまったのでうなりながら支度をする。12時頃に家を出る。
簡単な手続きをしたり、初めての場所に行くことがかなりの重荷になるので一日にまとめてこなす。時間に追われて、気持ちが入り込む隙間を与えないのがいい。学生証の受け取りに大学まで行き、その後美容クリニックを2軒まわる。美容クリニックってどこも混んでる。なんとなく美意識が高くなった気分にもなる。ピアスの穴を開けただけだけど。
映画の時間までと喫茶店に入る。隣の席の大学生の男女3人組が就活の話をしている。耳に入ってくる会話を聞きながら、自分に与えられただけの決められた話をして、それに相手は決められた返しをするのって会話なんだろうかと思う自分が、傲慢で救いようのないやつに思えてきて嫌になる。スムーズに流されていく会話が時々とても醜悪に思えるのは、私がその醜悪さをたっぷり抱えた人間だから。
19時すぎに映画館に移動する。二度目のドライブマイカー。親密さを見てやられてから、濱口監督の映画のなかへ帰ってしまいたい気持ちがずっとあった。弛んだシーンの一切ない映画だと改めて思う。計算され尽くした映像の言葉の音のなかに入っていくのは心地良いし緊張する。ずっと緊張していたいと思う。
映画館から出た時、新宿の街ははっきり輝きを増して見える。私は映画の素晴らしさと世界の美しさと、どちらも知ってるんだ。映画を見終えて歩くこの夜の時間が永遠に続けば良い。
映画とコインランドリー
橋の上
春に
日記をかく。今まで日記というものを続けられたことがない。元日に買った日記帳は362ページが白紙のまま。10代の頃に何度かブログを開設したこともあるけれど、すぐに存在ごと忘れ去ってしまった。
長い文章をかくことが苦手、というのがある。それは今も変わらない。何かをつづけることも苦手。飽き性。それから自分の感情のことがまるでわからない。いつも私は日記帳に何もかけずにいた。
薄ぼんやりとした膜のようなものに包まれて生きてきた気がする。現実、とか他者、とかそういうものに飛び込もうとしない自閉的な人生だった。
私は29歳で、独り身で、ずいぶん孤独な生活をおくっていて、そして最近ものごころがついた気がする。気のせいなのかもしれないけど、世界の輪郭が少しつかめるようになった気がする。その頼りない手ざわりを記録しておきたいと思った。
私が死んだあとも私の日記が永久に(永久になのか?)インターネットの隙間の隙間に漂うことを思うと、なんかほっとする。